Column

武蔵野コラム

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中小企業の経営者の皆様に、実践的で役立つ情報をお届けします。

20年前の武蔵野は怖かった

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全社管理本部売掛課部長 沖野祐美

今回からは全社管理本部の沖野がお届けします。
はじめまして、パート社員の沖野です。
私が36歳のときに武蔵野でパートを始めて、いまでは部長の肩書きをもらうまでになりました。
他の会社ではあまり見ないケースだと思いますので、今回から4回に渡って、ごく普通の主婦が部長になるまでの軌跡をお話しします。
まずは武蔵野に入社するまでのライフストーリーから!!

私は北海道の旭川出身で、高校卒業後に信販会社に入社しました。いわゆる普通の事務員です。
その会社で主人と出会って、入社5年目で結婚。寿退社して、専業主婦になりました。
主人の転勤で、釧路、そして仙台へ。
仙台のときに2人目の子どもが生まれて、1歳のときに仕事を探し始めました。
主人はそれなりにお給料をもらっていましたが、夜のおつきあいなどで出ていく額も大きかった。
将来に向けてもう少し蓄えが欲しいと思って、5年ぶりの仕事復帰を決めました。

仙台では、ミールキットの宅配会社で働きました。
その会社は全国規模で、企業内託児所がありました。
頑張ってパートしても、お給料が保育園代で消えてしまうと意味がありません。
仕事内容より、託児所があることが魅力で選びました。

仕事はお客様への配達です。
営業も兼ねているので、ダスキンのルートと同じような仕事ですね。
それまで事務の経験しかなく、仕事で車の運転をしたりお客様にセールスをするのは初めて。
最初は不安でしたが、やればそれなりに結果が出て、それがお給料に反映されるのもうれしかったです。

その後、主人の転勤で、東京に引っ越しました。
子ども2人を幼稚園に通わせたかったので、パートはしばらくお休みしました。
下の子が小学生になるタイミングで再開。今度は事務員です。
仕事は楽でしたが、会社の都合で週3から週2になって稼ぎが減ったため、別のパートを探しました。

次に勤めたのは、ドアの覗き窓の部品をつくる工場でした。
ここは労働環境がよくありませんでした。
部品の特性上、暗い部屋で作業する必要があり、一日中そこに閉じこもっていると気が滅入るのです。
そのせいか長続きしない人が多く、私も1年で辞めてしまいました。

次はどうするか。
当時もう36歳になっていたので、配達のように体力を使う仕事は嫌でした。
慣れている事務の仕事で、週3でできる職場がいいと思って探したところ、武蔵野の求人広告が目に入りました。

職種や勤務地などはピッタリでしたが、唯一気になった点がありました。
いまと違って、当時は求人に年齢制限がついているのがあたりまえでした。
武蔵野の求人広告にも、応募条件に「35歳まで」と書いてあります。
ただ、そう書いてあるだけで、実際は気にしていない会社が多いことも知っていました。
おそるおそる電話してみると、「36歳? 大歓迎ですよ」とあっさりセーフ。
もし応募条件を厳格に適用していたら、いま私は別のところでパートしていたかもしれません。

面接に行ったのは、2000年9月です。
当時、武蔵野は1回目の日本経営品質賞を取る前で、いまのように環境整備や社員教育が隅々まで行き届いているわけではありませんでした。
本社にはまだ大きな看板がなく、駐車場にダスキンカーが停めてあるのを見てようやく武蔵野だとわかったくらいです。

インターホンを押すと、「2階へどうぞ」との指示。
2階のドアを開けると、いまなら全員が来訪者を笑顔で出迎えてくれます。
しかし、そのときはみんなに「誰だ、こいつは?」という目で睨まれました……。

雰囲気が怖くて「応募する会社を間違えたかも」と後悔しましたが、
あれから20年以上経ち、いまでは武蔵野のことが好きになっているから不思議ですね(笑)

 

次回は“滝澤さんの口癖は「で?」”です。

次回もお楽しみに!

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